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#1




時は1170年頃。幼い頃から比類のない体格に恵まれていたと言われる荒法師 “武蔵坊弁慶” 。彼は、京で千本の太刀を奪おうと悲願を立てる。
弁慶は道行く人を襲い、通りかかった武者と決闘して999本まで集めた。あと一本というところで、笛を吹きつつ通りすがる若者と、ここ五条大橋で出会った。源氏の御曹司、源義経(牛若丸)である。
牛若丸が腰に差した見事な太刀に、弁慶は大いに関心を示し、太刀をよこせと挑みかかるが・・・

京都府京都市東山区朱雀町付近 五条大橋

出典『義経記』『日本昔噺』『弁慶物語』『尋常小学唱歌「牛若丸」』


#2




1184年、摂津国福原(兵庫県)にとどまっていた平家は、一ノ谷の戦いで源義経に攻められ、大敗を喫した。逃げる平家は瀬戸内海を船で渡り、屋島(香川県)に本拠を置いた。平家は有力な水軍を持っていたが、源氏は水軍を保有していなかったため、休戦が続いた。
翌年、熊野水軍などを味方に付けた義経が屋島へ攻めこむと、激しい海上戦が展開された。休戦状態となった夕刻、平家軍から美女の乗った小舟が現れた。竿の先の扇の的を射よと挑発された義経は、矢を外せば名折れになると、腕に覚えのある者を探した。すると、畠山重忠が一人の若武者を推挙した。名は、那須与一宗高・・・

香川県高松市牟礼町牟礼浜付近

出典『平家物語』『吾妻鏡』『玉葉』


#3




1560年、尾張(愛知県)の織田家は危急存亡のときを迎えていた。
駿府(静岡県)の大名、今川義元が尾張の奪取を目指して、2万5,000と言われる大軍を率いて東海道を西に向かっていた。沓掛城に入った今川軍に対し、10分の1の兵力しか持たない織田方は清洲城に篭城するか、出撃するべきかで軍議が紛糾していた。
風雲急を告げる6月12日。今川方が丸根砦、鷲津砦に攻撃を開始したという知らせが当主、織田信長の耳に入った。この知らせを聞いた信長は、明け方の午前4時、幸若舞『敦盛』を舞うと、居城清洲城から5騎のみを連れて飛び出した・・・

愛知県名古屋市熱田区神宮1−1−1

出典『信長公記』『改正三河後風土記』『日本戦史 桶狭間役』


#4




とどまることを知らない織田信長、天下布武はもはや目前であった。
ここに至るまでに、一向宗との争いや延暦寺の焼き討ちなどで僧侶をことごとく殺害し、仏法の敵と化した信長は、神の化身であるかのように振る舞い、魔王とまで自称していた。信長の残酷無比な非道を誰かが止めなければならない。そう思う者も少なくなかった。
1582年6月2日未明、信長とわずか100人余りの手勢が宿泊する本能寺の周囲には幾千もの桔梗の旗がはためいていた。この日、織田信長は伝説となった・・・

京都府京都市中京区寺前通御池下ル下本能寺前町

出典『信長公記』『イエズス会日本年報』『明智軍記』


#5




秘剣ツバメ返し。小倉(福岡県)の細川家に仕え、小倉城下に道場を開いていた佐々木小次郎は、この秘技によって名声を得ていた。
対するのは、二刀流を生み出し60数度の決闘をして一度も負けたことがない剣豪、宮本武蔵。
1600年代初頭、豊前小倉藩領であった舟島(山口県)において行われた決闘は、詳細がはっきりしていない。佐々木小次郎のことが邪魔になった小倉藩が、決闘に見せかけて小次郎を暗殺したという陰謀説もある。今明かされる歴史の真実やいかに・・・

山口県下関市大字彦島字船島1

出典『備前長船長光』『武将感状記』『二天記』『武公伝』


#6




1853年の黒船来航から約5年。江戸幕府の大老、井伊直弼は朝廷の許可(勅許)を得ないまま、アメリカとの日米修好通商条約をはじめとする不平等条約に調印した。この決定に反対意見を持つ者が多数現れたが、江戸幕府はこれらの者を徹底弾圧に処した。世に言う、安政の大獄である。
100人以上に対し処刑・処罰が下される最中の1860年3月3日午前9時、彦根藩邸上屋敷の赤門がゆっくりと開いた。いつものように60名ほどの行列を引き連れて、駕籠の中の井伊大老は三〜四町(327から436m)先の桜田門へと登城する。江戸の空には季節外れの雪が舞っていた・・・

東京都千代田区霞が関2丁目1-1付近 桜田門

出典『十八烈士桜田快挙録』『桜田義挙録』『近世日本国民史 桜田事変』


#7




1853年の黒船来航以来、日本は諸外国に対し国を開くべきか、または討ち払うべきか、国論は二分していた。
そんな最中、攘夷を唱える長州藩(山口県)の来島又兵衛、久坂玄瑞らは京都御所から孝明天皇を連れ出し、権勢を我が物にしようという暴挙を企てた。
迎え撃つ京都守護の会津藩(福島県)は劣勢に立たされていたが・・・

京都府京都市上京区京都御苑 蛤御門

出典『新撰組顛末記』『久坂玄瑞』『幕末維新の歴史地図』


その他のプロジェクト




 
都道府県 タイトル
概要
年代
北海道 五稜郭の戦い 剣豪土方歳三、最後の戦い 1869年
岩手県 立ち往生 武蔵坊弁慶の最期 1189年
宮城県 伊達者行列 世間を賑わせた伊達政宗の大名行列 1593年
福島県 野口英世 生家 世界を救った男の半生 1876年
群馬県 富岡製糸場 工女達が支えた日本の産業 1872年
東京都 松の廊下 浅野内匠頭の無念 1701年
東京都 泉岳寺 よみがえる忠臣蔵 1703年
東京都 お台場 大砲台として作られた島々 1850年代
神奈川県 しずやしず 静御前が見せた女の誇り 1186年
神奈川県 黒船 浦賀にペリー来航 1853年
神奈川県 生麦事件 薩英戦争へと続く悲劇の道 1862年
神奈川県 日露戦争 軍艦三笠 艦上の東郷 天気晴朗ナレドモ浪高シ 1905年
富山県 倶利伽羅峠の戦い 木曽義仲の奇策 1183年
石川県 勧進帳 金剛杖で主君を打つ男の涙 1187年
長野県 川中島の戦い ついに決着 上杉謙信 vs 武田信玄 1553年-1564年
岐阜県 稲葉山城乗っ取り わずか1日で攻略 天才軍師 竹中半兵衛 1564年
岐阜県 楽市楽座 賑わう商人たち 1568年
岐阜県 関ヶ原の合戦 総勢15万人の大スペクタクル 1600年
岐阜県 たらい舟川下り 関ヶ原の合戦後、たらいに乗って逃げる娘 1600年
岐阜県 奥の細道 結びの地 蛤の ふたみにわかれ行く 秋ぞ 1689年
岐阜県 板垣退助 襲撃事件 板垣死すとも自由は死せず 1882年
静岡県 富士川の戦い 雌雄を決した水鳥の羽音 1180年
愛知県 長篠の戦い 全く新しい戦術を発明した男 織田信長 1575年
愛知県 清州会議 秀吉の大どんでん返し 1582年
滋賀県 賤ヶ岳の合戦 柴田勝家 vs 羽柴秀吉 1583年
京都府 鞍馬の天狗 源義経に稽古をつけた天狗とは 1170年代
京都府 本能寺の変 魔王と呼ばれた男の最期 1582年
京都府 天王山の戦い 明智光秀 vs 羽柴秀吉 天下を掛けた決戦 1582年
京都府 三十三間堂の戦い 飛べ武蔵 1600年代
京都府 池田屋事件 火を噴く剣 1864年
京都府 蛤御門の変 会津の正義・長州の正義 1864年
京都府 大政奉還 徳川将軍 最後の大仕事 1867年
大阪府 逆櫓の松 頼朝・義経の不和の原因とは 1185年
大阪府 桜井の別れ 楠木正成・正行親子 今生の別れ 1336年
大阪府 大阪の陣 豊臣の最期 1615年
兵庫県 一の谷の合戦 不可能を可能に 英雄誕生 1184年
奈良県 中臣鎌足 出生 日本史における最大氏族はここから始まった 614年
奈良県 大化の改新 天皇中心の政治の起点 645年
和歌山県 豊臣秀次の最期 悲運な男 こに散る 1595年
岡山県 雪舟 井山宝福寺にて涙で描く天才絵師 1420年代
岡山県 備中高松城水攻め 黒田官兵衛 中国大返し 1582年
山口県 壇ノ浦の戦い よみがえる八艘飛び 1185年
山口県 下関条約調印 伊藤博文かく語りき 1895年
福岡県 元寇 絶体絶命 蒙古襲来と奇跡 1274年・1281年
熊本県 西南戦争終結 義に生きる男 西郷隆盛の思い 1877年




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